こんにちは、Takaです。
今回気になったのは、
元力士で元プロ野球選手の
市場孝之さんです。
市場孝之さんは、激レアさんを連れてきた。
『プロ野球選手になりたかったのに
なぜか相撲部屋に入門して力士になり
そのあとやっぱりプロ野球選手になった人』
3月20日(月)23:15〜23:45に出演されます。
そんな、市場孝之さんは
いったいどんな人物なんでしょう。
なので、プロフィールや経歴に家族が
気になり調べて見ました。
みなさん、一緒に確認していきましょう。
市場孝之さんのプロフィールは?
プロフィール
名前 市場 孝之(いちば たかゆき)
出身 和歌山県田辺市
生年月日 1970年9月8日 生まれ
身長 185 cm
体重 81 kg
野球選手時代
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1991年ドラフト7位
選手歴
千葉ロッテマリーンズ (1992 – 1993)
嘉麻市バーニングヒーローズ
監督・コーチ歴
福岡ミサキブラッサムズ
福岡ブラッサムズ
嘉麻市バーニングヒーローズ
市場孝之さんの経歴は?
市場孝之さんは、相撲力士からプロ野球選手へと
異色の経歴の持ち主です。
どんな、経歴だったのでしょう。
市場孝之さんは、田辺市立明洋中学校で
野球部に所属しており、4番を打つ傍らで
相撲部にも所属され活躍されていました。
1986年3月の中学卒業と同時に野球の道ではなく
佐渡ヶ嶽部屋に入門します。
そして、琴市場(こといちば)の四股名で
初土俵を踏みます。
1987年3月場所では6勝1敗の好成績をおさめ、
1988年5月場所には自己最高位となる
序二段42枚目まで昇格しましたが
左膝捻挫のために途中休場し
1998年9月場所限りで廃業してしまいます。
大相撲時代成績は、
所属部屋 佐渡ヶ嶽
改名歴 琴市場
初土俵 昭和61年3月
最終場所 昭和62年9月
生涯戦歴
26勝21敗16休/47出(10場所)
序二段戦歴
20勝20敗16休/40出(8場所)
序ノ口戦歴
6勝1敗/7出(1場所)
前相撲戦歴
1場所
大相撲廃業後は、1988年4月に国際海洋高校へ
入学するとともに、野球部に入部します。
1989年12月にロッテオリオンズの練習生となり、
1991年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから
7位指名を受け入団。
プロ野球時代は、
入団後は、一軍出場機会が無いまま1993年限りで現役引退。
引退後は、
福岡県粕屋町で開いた野球塾の
塾長として指導をされるようになります。
さらに、2005年11月30日には社会人野球チームの
福岡ミサキブラッサムズ(現:福岡オーシャンズ9)の
ヘッドコーチに就任。
2007年3月2日には、福岡県嘉麻市を拠点とする社会人野球チーム
「嘉麻市バーニングヒーローズ」を結成。
市場孝之さん自身は、選手兼監督となり
井手らっきょさんが、選手会長を務めます。
2009年
東北楽天ゴールデンイーグルス
ジュニアスクールのコーチに就任。
2010年
幼児体育指導者の検定資格を所得し、
東北楽天ゴールデンイーグルス
ジュニアスクール内キッズコースの
チーフ幼児体育指導者。
2011年
福岡ソフトバンクホークス
リハビリ担当スタッフに就任。
福岡ソフトバンクホークス内
野球塾のチーフコーチも務めます。
本当に異色ですね。
相撲、野球とどちらもプロになってますから
それらの経験から、素晴らしい指導者になってますね。
市場孝之さんの家族は?
市場孝之さんが結婚されて、お子様がいるかは
情報がありませんでした。
年齢的に、結婚はされていてもおかしくありません。
公表されていないだけで
結婚はされているでしょう。
また、市場孝之さんの父親は少年野球の
コーチをしていたそうです。
しかしながら、市場孝之さんは父親に反抗した時期もあり
中学校時代は暴走族に入っていたこともあるそうです。
なんか、最初野球の道ではなく相撲の世界に入ったのが
わかるような気がします。
私の勝手なイメージですが
相撲界、ヤンチャな子が多いような。
佐ノ山親方で、14代九重を襲名し九重部屋を継承した
千代大海関もヤンチャでしたね。
すみません、勝手なイメージで。
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〈まとめ〉
今回、元力士で元プロ野球選手の
市場孝之さんについて調べて見ました。
今後の活躍もまだまだ続きそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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